Nov 25, 2009
海外ホテルは日本と同じようにできないので要注意
先進国以外の国に旅行に行っていますか?私はいくつかの東欧諸国に旅することができます。まだ少し、先進国とは言いにくい国です。もちろん、ヨーロッパなので、街は美しいし、ホテルもとても素敵です。でも、その海外のホテルで心ゆくまで停電でも水が出ないのもの憂き目にあいました。海外ホテルは日本と同じわけにはいかないので、大切ですよ海外にして、ここに滞在先を決定し、現地でホテルを決定することができます。 "海外ホテル"安いところは治安が悪いというイメージがあるが、そんなことはありません。心配なら、日本人が経営している"海外ホテル"もあり、治安の悪い場所のホテルでなければ、本当に安くて良いホテルが多いと思います。
【マニアック街道】
暑かった、本当に暑かった今年の祇園祭−と言ってしまったら、お祭りに怒られそう。祇園祭は7月いっぱい行われているわけだから…。17日の山鉾(やまほこ)巡行でおしまいという感じになっていません? ということで、祭り期間中の今、写真を交えながら祭りを詳しく紹介することにした。(園田和洋=京都検定1級合格記者)
◇…祭事について…◇
祇園祭は平安時代前期の貞観11(869)年、京都を中心に全国で広がった疫病の退散を願い、現在の二条城の南にある神泉苑(中京区)に当時の国の数の鉾66本を立て神事を行ったのが始まり。
疫病流行のたびに行っていた御霊会も天禄元(970)年から毎年実施するように。山や鉾は疫病などの災厄を鎮めるための依り代で、笛や鉦などの祇園囃(ばや)子は疫病のもととされる怨霊を鎮めるためとされている。
祭りの期間は7月1日の吉符(きっぷ)入から31日の夏越祓までだが、1日すぐに山鉾は建てない。2日はくじ取り式。京都市議会場で山鉾の巡行順を決めるのだが、長刀鉾や函谷(かんこ)鉾など8基は順番が決まっている。
山鉾巡行はかつて17日の前(さき)祭と24日の後祭に分かれ、32基の山鉾のうち23基が前祭に、9基が後祭に参加したが、交通事情などで昭和41年、17日に統一された。
◇…写真日記…◇
【10日】鉾建ては四条通の長刀鉾、月鉾(写真(1))や室町通の菊水鉾などで始まる。くぎを使わずに縄締めで組み立てる。鉾建てはこの日1日だけで終わらず13日までかかる。山は14日頃から始め、規模が大きい北観音山や南観音山、岩戸山は早目に作業に入る。
【13日】新町通の北観音山は完成し、その南の南観音山とさらに南の放下(ほうか)鉾は完成間近だった(写真(2))。午後7時から今年初めての祇園囃子が鳴った。この日はまだ交通規制がなく、交通の往来が激しい四条通ではいつも以上に渋滞する中でコンチキチンの音が響きわたる。
鉾の中でお囃子の様子が写真撮影できるかもと、函谷(かんこ)鉾の拝観とセットになった粽(ちまき)を購入して鉾の上に。だが皆、考えることは同じ。拝観する人は多くて足を止めることはできず、鉾上の写真撮影に苦戦したが、何とか写すことができた(写真(3))。
続いて向かったのが、四条通をはさんで斜め向かいにある月鉾。午後7時40分を過ぎると日も暮れ、夕闇といった雰囲気。月鉾ではこの日、鉾ではなく会所でお囃子を演奏。16日の宵山ともなるとも、この周辺は人でいっぱいになるのだろうが、祭りは始まったばかり。月鉾の周辺も人出が少ない(写真(4))。
そのころ、四条新町では大舩(船)鉾のお囃子が披露されていた。船形の鉾といえば船鉾が現存する。いずれも神功皇后の出陣神話に基づき、出船の船鉾に対し凱旋(がいせん)の大船鉾と、本来2基の船形の鉾があったが、元治元(1864)年の蛤御門の変で大船鉾は焼失した。
幸いなことに神功皇后のご神体や神面、装飾品は残ったため祭の期間中はご神体と装飾品を飾るほか、お囃子もこの期間に演奏される(写真(5))。
もうひとつの楽しみが屏風(びょうぶ)祭。各山鉾町の町家では、秘蔵の屏風や調度品などを通りから鑑賞してもらえるように飾る所も多い。
新町六角近くの吉田家住宅(写真(6))は明治42(1909)年築。格子窓を外し、屏風のほか現代的なアートを公開している。午後8時20分、近くの北観音山の上に月がこうこうと輝き、ちょうちんの明かりとともに幻想的なシーンを演出していた(写真(7))。
【14日】宵々々山。いろんな露店が出る。最初に向かった北観音山を昨晩の吉田家住宅前から写真を狙った(写真(8))。この周辺は古い町家が多く、山を交えたこの景色は古都らしい景観だ。
このあと室町通を北へと上がる。鯉山の会所で左甚五郎作と伝わる鯉の見事な彫刻のほか、1600年前後にベルギーで作られた国重文指定のタペストリーもある(写真(9))。ベルギーのタペストリーは鶏鉾などにもあり、国重文に指定されている。
1600年といえば戦国から江戸へと時代が移り変わる頃。なぜこのようなタペストリーが山鉾の飾りになったかについては、また語る機会を設けたい。
【15日】宵々山。まずは聖徳太子をまつる太子山=油小路仏光寺下ル=から。蛤御門の変で焼失後、明治2年に再建された住宅と家の前の真っ赤なちょうちん、それに太子山などが調和して北観音山周辺と同様、京都らしい景観を保っている(写真(10))。
新町に出ると狭い通りの両側には露店が並び、祭りを楽しむ人でにぎわっていた。北の方を見ると多くの人の頭の向こうに、放下鉾が浮かび上がるように見えていた(写真(11))。
この熱気を避け、静かに祭りを楽しみたいと向かったのが保昌(ほうしょう)山=東洞院松原上ル=(写真(12))。山鉾町の中でも南東の外れにあたる。露店も少なく静かだが、和泉式部と平井保昌の恋愛物語を題材にしている山だけに、縁結びの御利益を求める女性が多い。
【16日】宵山、しかも土曜日。人が多いのはわかっていたので外出したくない気分もあった。が、役行者山=室町通三条上ル=前で山伏が祭りの無事を祈って行う護摩焚(た)きを久しぶりに見ることにした。
午後2時過ぎ、ホラ貝を吹きながら聖護院の山伏数十人が登場。杉で組まれた護摩壇の前で矢や小太刀を使って祈祷(きとう)を行う。護摩から出た白い煙で山が隠れてしまうほどだった(写真(13))。
続いて向かった祇園新橋と石塀小路。京都らしい景観を守る両町がこの期間のしつらえを見たかった。地味なものだったが、意外に人も少なく、静かなたたずまいの中に身を置くことができた(写真(14))。
四条花見小路では、正装姿の舞妓さんがたくさんの観光客が通る中で次々と出勤する光景を見た。午後4時と、まだ日も暮れていない時間にこれだけの舞妓さんの出勤姿を見るのは初めて。
午後8時、四条烏丸の函谷鉾前で撮影。大勢の人でごった返し、ゆっくりとお囃子を聴ける状態ではなかったが、闇に浮かび上がったちょうちんの明かりの美しさは印象的だった(写真(15))。
【17日】山鉾巡行の日。巡行が四条から河原町、御池の各通りを経て新町通に入るのが午前11時過ぎということで、午前10時半前から新町六角で待った。
この日の京都市内の天候は、台風が近づいていたがまだ晴天で、最高気温は35・7度と暑かった。
正午前、ようやく最初の長刀鉾の姿が見えた。先に長刀を付けた真木(しんぎ)が揺れているので、ゆっくりだがこちらに向けて動いているのがわかる。正午過ぎに新町六角を過ぎ、「ギシギシ」と木のきしむ音と地響きを立てながら目の前を通過した(写真(16))。
新町御池の交差点の手前で長刀鉾のお稚児さんが鉾から降り、ここで巡行は解散。このため儀式後の山鉾の帰り道とした新町通を通過する。
新町通で山鉾が通過する順番はスタートの時とは異なる。狭い新町通沿いを町内とする山鉾が先に入ると、新町通を抜けて四条通に出たい山鉾は立ち往生する。そこで新町通に止める山鉾は一番後に入る。
このため新町御池の交差点でしばし順番を待つ山鉾もあるほか、新町通に入らずにそのまま自分の町内へ戻る山もある。
それでも自分の町内に戻るまでは手を抜かない。沿道に詰めかけた観客に綾傘鉾の棒振り踊り(写真(17))を力いっぱい見せてくれた。
船鉾が町家の間を航行するシーンは圧巻だった(写真(18)〜(21))。そして巡行の最後、北観音山が会所前に到着すると、関係者と観客から大きな拍手がわき起こった(写真(22))。
巡行が終わると山鉾はすぐに解体される。午後4時に再び各山鉾町を巡ると、ご覧のように月鉾は骨組みだけに(写真(23))。
巡行の日の夜、八坂神社から3基の神輿(みこし)が関係各町内を回って四条寺町の御旅所に入る神幸祭、24日はその神輿が町内を回って八坂神社に入る還幸(かんこう)祭が行われた。巡行は神輿の露払いのようなもので、本来の祭りのメーン行事は神幸祭といわれている。
還幸祭の際、3基の神輿が自宅近くの三条通の商店街を通るため、これまでは毎年見ていた。今年は勤務の都合上、見ることができなかったので、昨年のシーン(写真(24))でお許し願いたい。
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